Vol.28(15年11月)
第28回は『思惟』(しゆい)
日本画の作品です。
「仏画」を描いてみたいと思いました。
早速「仏画」を調べてみると、
「仏教の礼拝・儀式で使用される絵画」とのこと。
仏教の教えや決まりごとを、線の表現を活かして描いた「仏画」は、
仏教が伝えられた古くから寺院の壁画などに描かれ、
修錬されて今日に受け継がれています。
難しい!
結局「仏画」は別の機会に挑戦することにして、
仏像を描くことにしました。
仏像の作品は、第20回で『如来』を紹介しましたが、
今回は『半跏思惟像(はんかしゆいぞう)』で
新しい表現を試みました。
奈良・斑鳩の中宮寺にある『半跏思惟像』は有名です。
視線を落として思索するまなざし、慈しむ微笑み、
曲げた右手の指先は頬にやさしく触れそうです。
飛鳥時代の木造彫刻は千三百余年の時を経て、
神秘的に佇んでいます。
皆が知っているテーマを作品にするには、写実に徹するか、
対象が持つ雰囲気をあえて抽象的に描くかです。
悩んだ末に、
写実をベースに日本画の手法で『半跏思惟像』が放つ
やさしさの表現に挑みました。
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Vol.27(15年10月)
第27回は『初秋』(しょしゅう)
日本画の作品です。
秋を迎えた釧路の湿原は、厳しい冬の原野を想像できない
爽快な景色が広がっていました。
ゆったりと流れる川、
遠くまでつづく湿原、
湿原特有の木々、
かなたに悠に望む山々、
広い空、
北海道の自然は、日本人の感性に合った雄大さが魅力です。
団体旅行で訪れた展望台からの眺めは、
限られた時間の中で、印象を焼き付けるには十分な感動でした。
今月のHOTLINE さんの「いいね!」に、
「UZLA SKETCH SELECTION」として6点のスケッチを
載せていただきました。
そのひとつ『釧路湿原』が『初秋』の下絵になります。
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Vol.26(15年9月)
第26回は『映緑』(えいりょく)
水彩画の作品です。
絵画作家が同じ対象を題材に作品を創ることは多々あります。
人物、静物や風景を対象に創作を進めていく過程で、
表現の可能性が無限に閃いてくるからでしょうか。
対象を熟知すればするほど、作者の表現したい
主題や表現方法へのウェイトの掛け方が増やせます。
創作活動は自己の表現です。
対象の選択は、表現に適したものを意識的に、
時には無意識に近い状態で選んでいます。
「浄瑠璃寺」は、私にとって自己表現しやすい対象のひとつです。
季節、時間、天候、音、歴史、思想、環境・・・
表現したい思いにこれらの要素を加えると、可能性が膨らみます。
結果、当尾の里に足繁く通い、多くのスケッチを行ってきました。
夏
深緑の中にひっそりと佇むお寺は創作の意欲を駆りたて、
またひとつ、自己を表現する対象となりました。
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Vol.23(15年6月)
第23回は『廿日草』(はつかぐさ)
日本画の作品です。
廿日草はボタンの別名です。
最初の花が咲き、最後の花が散るまで二十日間、
長安の人々が熱烈に愛でたボタン。
廿日草の名は白居易の「牡丹芳」
「花開花落二十日 一城之人皆若狂」
(花開き花落つ 二十日 一城の人 皆狂へるが若し)
から来ているそうです。
確かにつぼみがだんだん膨らんで、やっと咲いたと思ったら
二十日も持たずに、打ち重なるように散るはなびらは
花が豊麗なだけに、より憂いを感じさせます。
ボタンのスケッチは幾度も試みますが、
いつもいのちの美しさに追われているようで、
満足なこたえを見つけられません。
この作品も花言葉「王者の風格」を感じさせる
満開を待てずに書きました。
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